mobile site

コラム

2006年08月24日

第13話『ホテルの問題』

 村上ポンタさんのチューニングのおかげで2人のドラムの音はバッチリに。しかし、レコーディングには膨大な時間がかかりました。何度もリズムトラックを録り直した。これだけは全員が気に入るまでやった、というか誰かがどこかでちょっとまちがうとやりなおした。“音のIT革命やー!!”は当時なかったので、「せーの」で同録。あとでやるギターソロやボーカルにも時間がかかったが、なんとか出来上がりました。76年の夏の終わりのことです。

 チャールズも2曲に参加。大阪の千日前を2人で歩いている時に「千日やから、サウザンド・デイズやなぁ」から出来上がっていった『MY DADDY』と『台風』はチャールズとの共作です。そして、プロデュースはめんたんぴんの池田洋一郎さん。ずいぶんボクラをリラックスさせ、良い方向に導いてくれました。

「keep on truckin’」と名付けたアルバムを持って、ライブツアーは始まりました。渋谷の「屋根裏」には前から何度も出ていましたが、最高入場者記録を作り、ゴッツイ喜んだのでありました。しかし、数日後にオキナワの紫にすぐ抜かれてしまって、チャンチャカチャーン。そして、ついにデビューコンサートを神戸ヤマハと有楽町読売ホールでやることになりました。ライブハウスとはおもむきが違うコンサートもなんとかうまくいき、たくさんお客さんが入っているのに感動しました。初めて東京の三ノ輪にある「モンド」に出たときは3人しかいなかったお客さんがここまで増えると、うれしいとは裏腹にちょっと恐い気がしたのも事実です。

 プレッシャーを感じつつも、学園祭などのイベントにも参加。名古屋での学祭のライブの時初めてホテルに泊めてもらい、みんな興奮して部屋で花火をしてれらい怒られたこともありました。ウーン、では今までは旅館に泊まっていたのか?という素朴な疑問がそこにはあると思いますが、実はその日その日のいきあたりばったりでライブハウスのオーナーの家、友達の家などに泊めてもらってました。ライブハウスの二階で寝かせてもらったときもあります。泊まる場所がないときはひたすら次の町へ向かうこともしばしばでした。若いから出来たんやろうけど、それでもけっこうキツかったです。イチバンキツかったのは、九州でライブをやり、そのまま走って次の日大阪のM大学の学園祭に出た時かナァー。アメリカのロックバンドの使っているべッド、シャワー付きのツアーバスとは違い、リクライニングなしのELF6人乗りダブルデッカーは、かなり狭かったです。でもエコノミー症候群に誰もならずにすみました。そもそもそんな病気その頃聞いたことなかったです。関係ないけど花粉症もなかったような気がするゾー。

 明けて77年元旦に、東京は平和島でのイベントに参加。(前武のヤングアップ)共演は安全バンド、そして入場者記録を破られた紫。ここは負けるワケにはいかへん。しかしようみると、オキナワの紫はメチャ寒そうにしていて調子がイマイチそう。言い忘れたが、これが真冬の野外イベント。ちゃんと指が動くワケがあらへん。しかしこっちはスライドギター、すべらしとるだけでいけるでー。まあ、冗談ですけど。この時も評判は上々で、終演後またしても日帰り、正月からキツイ行程ではありましたが、僕たちは気分上々でした。

 そしていよいよレーナードスキナードとの共演、いや前座の日々が近づいてくるのであります。前評判ではメチャ南部の野さくれ男の集団で、ゴッツイ飲んだくれて恐いゾーということで、まあ前座やし、交流戦はないやろナァ、サインくらい欲しいナァてな感じであまり期待していなかったというか、ちょっとビビッていたのでありました。

2006年08月06日

第12話『ポンタさんはドラムテクニシャン???』

前座活動を重ねつつその年75年の神戸祭りに出演。そしていよいよ8.8ロックデイの夏がやってきた。73年はよのすけブルースバンドで出たがフェスティバル形式やったので勝ち負けはなしやった。74年からはコンテストに形を変えストロベリージャムで優勝したことは前回書きましたが、今回はやっと結成したアイドルワイルドサウス。どないしても優勝したかった。

この頃すでにいくつかのレコード会社からお話をいただいてはいましたがどれも「よしやるぞ!すぐに東京へ来い!!」ではなかったので難しいことは8.8が一段落してからでええかと。そんなお気楽な感じでした。しかしバンド内は決してバッチリというわけではなかった。何回もメンバーの交代が続き8.8の後に初めて行った東京ツアーの後には森辺君と二人だけになっていました。今、振り返るとその頃の僕はワンマンでキツーイはっきりした性格やった。そやからバンドのみんなもさぞしんどかったやろうなと思います。

その東京ツアーのメンバーは松浦、森辺、チャールズ、ギターで加入した今村君、そしてベースはその後ツイストの再結成にも参加してくれた東山光良というバンド結成時からのメンバーはチャールズと僕だけという形でした。ところがこのバンドが東京でゴッツイうけた。同じメンバーで参加した夕焼け祭りでもうけた。そしてツアーの合間にレコード会社数社のオーディションを受け、その中でビクターはすごく気に入ってくれました。そやけど、「活動できませんねん」と正直に話し、神戸へ帰りました。話は前後しますが8.8は見事落選。いやあ、ホンマ悔しかったなあ!

そんな時夕焼け祭りを主催し小松をベースに活動している「めんたんぴん」とごっつい仲良くなりバンドがしばらく出来ないのでローディをやらせてくださいとお願いし、半ば押しかけ女房的ローディはめんたんぴんについてまわることに。そしてこの短いローディ時代にバンドの運営方法、物の見方、考え方を十分勉強させてもらえました。そんな大好きなめんたんぴんでしたがいつまでもアイドルワイルドサウスをほっとくワケにはいかへん。「一からやり直さなアカンで」とめんたんぴんのメンバーも言ってくれたので神戸へ帰ることにし、メンバーをさがしました。

キーボードは難波正司。マリアというバンドをやっていた難波君はそれまでプログッレシブなロックを得意とするピアニストでしたが、よーしやってみるかと参加してくれました。後に彼のお母さんから聞いた話では、ブルースやオールマンの音楽を死ぬほど練習したそうです。難波君とは桑名正博さんのバンド、西岡たかしさんのバンド等でもいっしょでした。今はカリフォルニアでバリバリ活躍しています。
ドラムは池本忠則。周知神というバンドをやってました。池本君は抜群な8ビートを叩き出すドラマーです。『今日もオイラは』の最初の4小節は池本ソロです。今、神戸の東灘区で“ボガージュ”というケーキ屋さんをやっています。池本君のシュークリームは世界一うまいです。
ギターは神戸のライブハウス「サンダーハウス」で知り合った藤井清和。藤井君はメチャスイートなトーン、そして的確なプレーが出来るギタリストです。ちなみに録音時、僕はメインギターがなくて藤井君のSGを借りていました。レコードジャケットでは二人共SGをかかえていますが実は同じソリッドギターやったわけです。
そしてベースは清昌弘。ストロベリージャムでいっしょにやってた清とはいつかバンドやろなとずっと話してました。東京の公衆電話から何回電話かけてくれたことか。10円玉の落ちる音が忘れられへんです。
森辺君は勤めていた会計事務所を辞め帰ってきました。ヒロはピーターさんをはじめ最近では冴樹みずほさんの『月の滴』をプロデュースするなど大活躍しています。冴樹さんのアルバムにオールマンぽい感じの曲があるそうで早速聴かなあきません。

やっと6人がそろいバンドのコンビネーションもバッチリ。オリジナルもバリバリ出来てこの時、誰1人としてこのバンドが短命に終わるとは思ってなかったでしょう。
6人乗りのトラックを買いやっと日本中ツアーできるようになり、お客さんもだんだん増えてきて考えられへんくらいゴッツイライブやった夜が何度もありました。

そしてついにRECORDINGが始まります。何しろはじめてのことやから右も左もわからへん。まずドラムの音が決まらへん。みんなで知恵をしぼってこのとき思いついたのがドラムをええ音にしてもらうチューニングを村上ポンタさんにお願いしようという荒業。それはもうダメもとでお願いしました。そしてスタジオに現れたポンタさんに一同最敬礼。どえらい感動しました。そしてドラム2台はメチャええ音に!!
今でもポンタさんに会うとこの時の話が必ずでて「オレにチューニングだけやらせたのはあとにも先にもオマエらだけや!!」とニコニコ笑いながら怒ったフリをしてくれます。ホンマに無茶なお願いをきいてくれたポンタさんにあらためて有難うございますです。

現代社会においてはドラムをチューニングするドラムテクニシャンは当たり前になっていますが時は1976年、おそらく日本ではじめてそれを実現したのはポンタさんではなかったかなーと、考えたりします。

日本一のドラマーは日本初のドラムテクニシャンやったワケであります???

2006年07月20日

第11話『前座』

 1972〜3年は関西からいっぱい素晴らしいバンドが出て来た黄金時代です。上田正樹とバッドクラブバンド、ウエストロードブルースバンドなど言いだしたらキリがないくらいにぎやかでええ時代でした。
この頃僕はオールマンブラザーズにハマリッぱなしで、オールマンのコピーバンドをめちゃやりたかったんです。そやけどなかなかメンバーがおらへん。サンフランシスコのノリ君の紹介で森辺浩章君(後にアイドルワイルド・サウスのドラムス)と仲良くなり、「京都へけえへんけ!!」ということに。R大学の軽音楽部でオールマンのコピーバンドをやっているという。学校に着くとデカイ教室からウィッピンポストが聴こえてくる。オーええバンドやナァ。やるナァ!!でもようくみるとギタリストが二人おるでないかい。

続きを読む "第11話『前座』" »

2006年07月04日

第10話『見逃してくれ』

 神戸へ久々に舞い戻って来た。しかし、バンドやりつつ、バイトやり つつ、マリストを中途退学した。そこには中途半端な自分がいた。このままではあかんナァ。アメリカへいったとはいえラスベガスには1カ月おっただけであとはハワイでの極楽生活。なんかホンマモンのアメリカを見てこなかった気がした。

しかし、時すでにおそし。通信教育の高校に入る前にもう1回行きたいナァ。飛行機代前回は高かったナァ。バイトでためたお金はちょっとやし、ギター売るか!!うーん。どないしたらええか?そやけど奥の手発見。ちょうどその頃グアム往復の安いキップが発売になり、グアムからアメリカは学生割引きでメチャ安。オマケに1ドルはもはや360円ではなくなっていた。もう1回だけでという約束でプラリ一人旅に出た。〔もちろん入学出来る学校をさがすという名目で〕

 今度は霧の都サンフランシスコ。またまた、マリストの友人タツノリ君のお世話になり楽器屋めぐり。残念ながら、オールマンやサンタナのコンサートは見れなかったけど、カルロス・サンタナ元所有というリフィニッシュのレスポールスペシャルをGet。今度はケースもついてきた。そして、帰る途中に日本人街のフィルモア通り(あの有名なフィルモアウエストのある場所)の質屋でピカピカの59年製のレスポールTVを発見。200ドルやったのでこれも買った。ケースが5ドルで、しめて205ドルか。しかし、これらのTVやスペシャルをおのぼりさん気分で買ったのが将来的(数週間後)にえらいこっちゃになるとは・・・・

 ノリ君に別れを告げ、いざロサンジェルスへ。ここでも友人のお世話で最初は空港近く(イングルウッド)の激安アパートに。キツーイ雰囲気ははじめからただよってはいたが、ジミヘン好きという黒人のオッサンの部屋に遊びにいったら、こいつがなんとOO。見たこともないような黒くてでっかい大根のようなものをいきなりだしてきよったので、「ボクハ、カラテデキル!!」とウソをかまし、速攻でアパートから逃げ出し、学歴詐称問題で有名なペパーダイン大学の寮でお世話になることに。

いやいや、ジグザグ行進ですワ。これぞLA的生活・イーグルスのティモシーシュミットのポコやジョン・メイオールのコンサートを満喫する平和な日々がもどり、そしてついにあこがれのギターセンターへ。ギターセンターは今では巨大なチェーン店ですが、当時はバリバリのビンテージ楽器屋ではありました。

 店員さんの「メイ アイ ヘルプ ユー?」に思わず59年のレスポールモデルはありますかと聞くと、奥から出てきました!!(この手の貴重な楽器は必ず店の奥から出てくるというのがひとつのおきまり。なんというかこれはちゃうデーという演出がなされておって、現代にもひきつがれております)
 この日生まれて初めてジミーペイジやデュエインオールマンと同じ59年製レスポールモデルを目の前に。しばし放心状態。このギターは当時から高かった。なんと1200ドル(36万円)。しもたァー。サンフランシスコでギター買いすぎた。そこで店員さんに、レスポールTV、スペシャル、もういっちょう赤いスペシャル60年製(こんなんも買うてしもてましてん)の3本とトレードしてくれませんかとお願いしました。

しかし、ぜんぜん話にならんと。お金をプラスしたとしてもこの3本は要らないと言われてしもた。まあしゃあない、そのうち買える日もくるサとメチャ重い足と3本のギターをひきずり、ペパーダインへ帰りました。友人に話すと「オマエ、メチャアホやな。LAはギター安いし、スペシャルやTVは二束三文やでぇ。どないすんのん。」と言われてしまった。ちなみに、サンフランシスコでのギター3本の合計額は1000ドル弱でした。そんなアホなLA生活でした。

そして、結局本来の学校さがしの目的などキレイサッパリ忘れ、ペパーダイン大学の寮とお別れして、(ホンマに泊まってんで。詐称やないゾ。)ホノルル・グアムを経由して帰国することに。途中のホノルルでまた、ひと休み。やっぱりハワイやなと思いつつグアムへ。ところが、グアムの空港で大問題勃発。なんと安売りキップの期限が切れていたのであります。

この時どういう風にこの問題を解決したのかを今となってはおぼえていないのでありますが、キップを買いなおしたり、追加料金を払った覚えがないので、きっと航空会社さんがゆるしてくれたような?きっと僕も「見逃してくれ!!」を連発したようなかすかな記憶があります。どちらにしても、とんでもなくオモシロイ旅であったことにはまちがいなく、こんなええ経験をさせてもらえたことに日々感謝感謝なのであります。

2006年05月27日

第09話『ストラトキャスターからレスポールゴールドトップへ』

前回、ラスベガスへ行く途中のハワイでストラトを買ったことに少し触れました。

 ホノルルのカイムキ地区ワイアラエ通りに「ハリーズミュージック」という老舗の楽器屋さんがあり、テッド君の親戚やということで、訪ねてみました。
 だだっ広ーい店の中にはフェンダーギターが色々展示されていましたが、やっぱりストラトキャスターでないかいということに。このギターはサンバーストで、シリアルNo.が29万台、ラージヘッド、モダンロゴの70年頃のものだったと思います。
 親戚のオジサンは、もちろん清水の舞台から飛び降りてくれて、なんと293ドルにしてくれました。しかしケースを買う余裕がなかったので、ダンボールごとお持ち帰り。ストラトキャスターは晴れて生まれ故郷米国本土へ僕と共に戻ることに。

 最初は調子よく弾いていたんですが、トレモロアームをつけたとたん、けったいなことに。どない調整しても素人の僕にはあかん。近所の楽器屋さんらしい店のオッチャンも“ブロークン”や言うし。困ってしまったんです。とにかくトレモロブロックが浮きっぱなし。全とっかえするしかない。
 時を同じくして僕も壊れてしまい(喘息か?)、こわれたもん同士、又ハワイへ行くことになりました。

 早速ハリーズミュージックへ。オジサンも“ソーリーソーリー”を連発、次のストラトの入荷までに大分時間がかかるということで、お金が戻ってくることになり、その足でダウンタウンにあるセイヤーズピアノへ。ここはギブソンが多い店やった。

 そしてなんと、夢にまで見たゴールドのレスポールがぶら下がっているではありませんか。このギターは1969年製の最初のレスポールデラックスで、ミニハムバッカーが2つついていた。このままで十二分OKなんやけど、ふとパーツ類の棚を見ると、クリーム色のP-90があるやないの。
 「こいつを2個オマケしてもろていくらですか?」と。しかし、ハリーズとは違い、ここでは一見さん。チャイニーズのオッサンは、423ドルにしかならんという。しかし今度は僕が清水の舞台から飛び降りる番。メチャ無理して買いました。もちろんケースなし。

 この日からラジオを聴きながらよう練習するようになりました。やっぱりレスポールがあってたんやろナ。
 ちなみに、この日生まれて初めてのスライドバーなるものも購入。それまではアリナミンのビンしかなかったので、やっと準備が整いました。

 ハワイのラジオはようできたもんで、一日中ロックがかかっている。特にオールマンブラザーズやサンタナあたりがよくかかり、ギターを抱えて待っていると、大体練習できる段取りになっとりました。

 ところで、やはり423ドルは痛手で、お金が底をついてきた。

 こっそりリキリキドライブインで夜中のバイトしたりしてつないでいましたが、ある日オモロイ話が舞い込んできた。ペプシコーラの日本のコマーシャルのエキストラのオーディションがあるという。こら乗らん手はないっちゅうことで オーディション会場へ。
 ホテルのプールサイドが会場で、立たされたり、横向かされたりで、結果合格。
 早速ノースショア方面へ連れて行かれました。撮影は一日中続き、最後はハレイワの川が海に注ぐあたりで1人だけのショットというのもあり、なかなかオモシロイ一日でした。

 後日このコマーシャルを見たら、海岸を走っている自分がおった。いやぁえらい興奮しました。まぁこれがいわゆるデビュー???っちゅうヤツやったワケでありまして。
 中3のときにグループサウンズになることはあらかじめ決めてあったので、これが何かのチャンスにつながればなと思っとりましたが、何もおこることはありませんでした。残念!

 そして、天国みたいなハワイでの学生生活にも悩みがでてきました。

 親に無理させてアメリカまで勉強しに来てるのに、高校出たらハイサヨナラはないなぁ。卒業後ハワイ大学なんてことになったら、あと6年も日本に帰られへんし、ウーン、どないするかなぁ。ハワイにはいたい、学校も楽しい、バンドはやりたい、しかしハワイでバンドはあかん。ウーン・・・、「そうや神戸へ帰ろう」
 このイージーすぎる発想のもと、ヨシは生まれ故郷に帰ることになりました。

 神戸へ舞い戻り、マリストへ復学するも、練習にいそしむ日々のため、学校は休みがちに。しかし金曜日には登校してダンスパーティにだけは出るという作戦は、先生方にメチャ不評。だんだんいづらくなってきたゾ。

 結局、通信教育で高校を卒業することを条件にマリストを中退。晴れて?アマチュアミュージシャンの道を歩むことになりました。

ヴォーカリスト募集!
track feed
ドメイン所得が格安! ホスティングサービス・パンドラ
[admin]