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コラム

2007年07月24日

第21話『裏切り者の松ちゃん』

アンルイスとブラッドショットのライブ、歌番組等への出演は順調にいっていました。もうキイボードを弾くこともなくなっていましたし、ギターを弾くのが楽しくて楽しくてしゃあなかった時代です。ひょっとしたらこの頃のプレイがギター人生の中で一番良かったかも知れんなあと思う位ええ感じで弾けてました。アンとバンド、スタッフの方たちとのコミュニケーションもバッチリで、バックバンドをやってるという感覚は全くなかったです。ホンマええ環境でやらせてもらっていたなと思い出す時がようあります。

この頃58年製のギブソンレスポールモデルのサンバーストとゴールドトップをライブで使っていたというのも今となってはなんとも贅沢な話で、よくもまあネックも折れず何のトラブルもなくてよかったなあと。その2本のギターはもう僕のところにはないのですが今でもええ状態で弾かれているかなあ?

そんなある日の晩、なんとも不思議な夢をみました。夢の舞台は車の中。登場人物は、ツイストの世良君と鮫島君、それに松浦の3人でした。何十年も前の夢やからボヤーッとした記憶ですが、僕が後部座席に1人で座っていてゴッツイ前のめりの姿勢で話を聞いていると鮫島君が『松ちゃん、ツイストに入れへんか?』と唐突に言い出し、世良君はただうなずきながら運転してるだけというそれはそれは夢らしい夢でありました。

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2007年05月28日

第20話『PA PA PA』

東京に引っ越してからなのか、まだ神戸にいたときやったのかは忘れてしまったのですが、ある日ツイストのギタリスト太刀川伸一から電話がかかってきました。あっ、思い出した神戸の家で電話をとったシーンが頭に浮かんで来た。そやそや、フェンダープリンストンリバーブとレスポールを新幹線で運んだのも思い出したぞ。いやいや最近物忘れすることが多く全く困ったもんであります。
ほんでなぜアンプやギターをわざわざ新幹線で東京まで運んだのかというと、ウマさん(太刀川伸一)がいきなり「オー 松、ツイストのレコードで1曲弾いてくれへんか」というのである。ツイストにはウマさんと大上明の二人のギタリストがいるので「なんで僕が弾くのん?」と問うと「スライドやがな」というではありませんか。これは正直うれしかったですね。

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2007年04月23日

第19話『全員集合』

テキーラムーンは”サードレディ“のB面の曲でしたがアメリカの砂漠がドカーンと瞳に浮かんでくる名曲です。理由は聞きませんでしたがその後に出た”テキーラムーン“というアルバムにはこの曲は入っていませんでした。

しかーしその次に出たライブにはちゃんとはいっています。渋谷公会堂で収録したこのライブ、僕も久々に参加してみんなに「あいかわらず音デッカイなあ!」といわれるくらい爆音で弾いています。
そのライブリハの時マサヤンから『松ちゃん、アンのバンドやってくれへんか?』という重大発表がありました。アンとはもちろんアンルイスのことです。あまりの急な展開にビックリ、そやけどアンはメチャええ人やしここはいっちょうやらせてもらおうということになりました。

その頃僕は神戸でブラッドショットというバンドに入っていました。ブラッドショットはトリプルギター、ベース&ドラムという編成でアメリカンロックをドーンとやるええバンドでした。神戸へ帰った僕は小林兄弟、名村君、壇辻君に「東京へ行ってアンルイスのバンドやらへんか?」と相談。みんなそれぞれ戸惑いや不安もあったと思いますが全員一致で「よっしゃ、やらせてもらいましょう!」ということになり1979年1月初旬家財道具一式を持っていざ東京へ。

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2007年03月27日

第18話『グレッグオールマン、ブギーウギーと連発』

アイドルワイルドサウスをやめた僕と難波君は試行錯誤していました。新しいバンドをやらなアカンという焦りの中でセッションを続けましたがなかなか新バンド結成にはいたらず。
そんなとき元鈴木茂とハックルバックのドラマー林敏明君(トンチャン)が僕たちに声をかけてくれ、五つの赤い風船の西岡たかしさんのバックバンドをやらへんか?という話になりベースにスターキングデリシャスの東山光良(ひっきゃん)が加わり練習がはじまりました。おっちゃんと僕はなぜかゴッツイ気が合いアコースティックを弾いたことのない僕のめんどうを一からみてくれました。
一からにはこんなんも含まれています。お金のなかった僕にはギター弦を毎回換える財力などなかった。そこでおっちゃんはひらめきました。1回使った弦を丁寧に外してくれるのです。その弦を家に持ち帰り鍋に湯を沸かし沸騰したところへ弦をチキンラーメンのように投入し3分ほど待つ。ハイ出来上がり!
あとは自然に乾くのを待つだけ。弦やから食われへんけどあら不思議。弦は1回だけ新品のような音によみがえるのでありました。リハのあともライブのあともおっちゃんは弦を外し続けてくれました。おっちゃんの大変な作業のおかげで僕の弦代は0円でした。これに味をしめた僕はある時ツアー中のホテルのポットでも試してみましたがこれは失敗でした。やっぱりガスでグツグツ炊かんとアカンのであります。いちどお試し下さい。

ちょうどそんなころ、なんとグレッグオールマンが大阪へやってきました。それも厚生年金会館。難波君と二人でアイドルワイルドサウスのレコードを持って楽屋まで面会に行きました。「おはようございます」と堂々と楽屋口からグレッグの楽屋までノーチェックで入れました。レーナードとのライブのおかげで厚年は隅々まで知りつくしていたので辿りついただけでホンマはアポイントもナーンもない無関係者やったんです。今考えると恐ろしい話ですがその時はただグレッグにレコードを渡したい一心でした。レコードを受け取ってくれたグレッグはジャケットのバンド名をみて「ブギーウギー」という言葉を連発しながら僕の手を持って振り回して離してくれませんでした。あれが握手やったらゴッツイ握手もあったもんやと思います。
そうこうしていますとホンモノの関係者の方が現れ僕らは不審者として外へつまみ出されてしまいました。ライブはイマイチ精彩に欠けバンドの調子も良いとはいえませんでしたがグレッグの声だけは天下一品でありました。グレッグに握手してもらった僕は天にも昇る気分であったのはいうまでもありません。

おっちゃんのバンドをやっていたらトンちゃんが桑名正博(マサヤン)のバンドもやらへんか?というのであやめ池にあるスタジオで練習することになりました。バンドの音はゴキゲンで初打上げということで駅前の食堂へ。ここで生まれて初めてビールを飲みました
飲んだといってもコップに半分程やったんですが、結果家までどないして帰ったのか全然憶えてないという状況に。あとで聞いた話では食堂の壁と笑いながらなにやらずっとしゃべっていたそうです。

マサヤンのバンドをやりだして生まれてはじめてスタジオミュージシャンとしての仕事??がきました。東京は目黒にあるモオリスタジオやったと思います。スタジオに入るとそこには鈴木茂さん、林立夫さん、ジョン山崎さん、田中章弘さん、がドーンと座っていてマサヤンが1人1人に紹介してくれました。田中君以外は初対面、そして鈴木茂さんはスライドギターの名手。僕はここで何をしたらええんやろうかナァーとじーっとだまって座っていました。譜面を読みながら録音するのは初めてやし、もちろん譜面が読めるわけでもない。ウーン。まいったナァーと考えていると鈴木さんが「今日はスライド松浦君が弾くんだヨ」と穏やかな話し方で言うてくれました。「えっ、鈴木さんが弾きはるんとちゃうんですか?」と聞きかえしましたが。マサヤンが鈴木さんに伝えてくれていたようです。この時録音した曲は“準備オーケー”“カリフォルニアが遠ざかる”等やったと思います。これらの曲は"MASAHIROⅡ”に収録されています。

そしてこのアルバムから【哀愁トゥナイト】がヒットして大阪フェスティバルホール、中野サンプラザでのコンサートを含むライブにも参加しました。ちょうどこの頃、難波君、ひっきゃん、トンちゃんは東京へ引越しました。僕はというと引越しの決断はつかずマサヤンのバンドは僕のかわりに是方博邦君を迎えてバンドはTEARDROPSへと進化していきます。
僕はおっちゃんとの二人股旅?の道をえらび日本全国いろんな街へ連れて行ってもらいました。このとき、おっちゃんから学んだことがいっぱいあって今でもホンマ感謝しているのであります。ちょっとだけビールも飲めるようになりだんだん大人?のギタリストになっていくんですナァー。そんなときマサヤンが「スライド弾いて」と電話をくれて”テキーラムーン“というかっこええ曲を弾くため、久々に東京へ行きました。そこでマサヤンから重大発表がありました。

2007年02月14日

第17話レーナードスキナードその3『1977』

中野サンプラザ3日目のコンサートの後、楽屋でロニーヴァンザントのお誕生日会がささやかに執り行われました。前座のボク等も参加させてもらえることになり楽しいひと時を過ごしました。
しかし僕はちょっと緊張していたのであります。それは最終日までにロニーにお願いしなければならないことがあったからです。

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