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コラム

2009年03月03日

第37話 築地デビュー

宇崎竜童さんのバンドの活動の合間をぬってはじめてのソロアルバム制作が始まりました。

あの内定取り消しから1年以上が経過していましたが、所属事務所もバースデーソング(元レイジーの影山ヒロノブ君と同じ事務所)に決まり社長の山岸さんには同じ関西人ということもあり公私ともによくしてもらいました。ここに至るまでの1年数ヶ月は紆余曲折の日々で何度も挫折しそうになりましたが渋谷のエッグマンに出演したことをきっかけに山岸さんにお世話になることが決まり、ホンマにあっという間に決まったので物事が動く時、決まる時は一発やねんなあということをこのときはじめて思い知りました。

ああでもない、こうでもない、と言うててこれまでで上手いこといった事などただの一度もなかったなあと今改めて思い返しています。SLIDIN‘&SLIPPIN’をレコーディングするときも現レーベルの大瀧さんに電話して3分後には決まったくらいですから。
いつまでも感謝の旅なのであります!!!

レコーディングは温かい季節に始まりました。築地に程近いオンキョウハウスは当時はええリズムトラックが録れることで有名なスタジオでした。そんな恵まれた環境でのツキジデビュー、いやソロデビュー。レーベルは佐川急便が立ち上げたリバースターレコードで橋幸夫さんと同じ会社でした。アルバム発売告知のチラシ、今でいうところのフライヤーも橋さんと僕が紙面の半分づつを飾るという、光栄ではあるのですがちょっと微妙なムードのデザインにスタッフ全員が思わずびっくりしたりもしましたが、それもレコード会社の配慮。2枚看板でっせーという意気込みを感じましたし、今にして思えば記念に1枚おいておけばよかったと後悔しております。

レコーディングは難波正司君が全曲のアレンジとキーボード、新井武士さんがベース、吉岡貴志君がドラム、このメンバーで殆んどの曲を録りましたが、ゲストで元ツイストの世良公則君、鮫島秀樹君、神本宗幸君、元サザンオールスターズの大森隆志君、アコースティックギターには田代耕一郎君、難しいギターソロには初対面でしたが難波君の紹介で今剛さんも参加してくれました。

メンバーのクレジットが正しいかちょっと気になったので箪笥の中から古いオリジナル盤をひっぱり出してきて確認しましたところ、なんと鮫ちゃんがベースの他に以外な事をやっているのを発見しました。鮫ちゃんがやってくれたのはローランド808という当時はやりのリズムボックスのプログラミングで、僕がホール&オーツみたいなリズムにしたいと言ったら「おお、そんなん簡単やで、オレがやったるわ」と次の日「ほんならやろか、草津&大津」とギャグを飛ばしながら機械ごと持ってきてくれたのでありました。それにしてもいつも絶妙のタイミングやなあ。

皆さんの協力のおかげでレコーディングは順調で13日間で終了しましたが朝まで掛かった日も何日かはありました。そやけど朝までやると築地で寿司というオマケがついてくるので、ひょっとしたら無理やり朝までやった日があったやもしれません。寿司にはまった僕と吉岡君は朝まで待って個人的に行ったりもしました。そんな思い出の築地ですから今回の移転問題は少々気になるところではあります。

そうや、こんなこともありました。レコーディングの途中で宇崎さんの沖縄でのコンサートがありスタジオを中断して1泊2日の沖縄ツアーというのを体験しました。ライヴのあとの打上げで憧れのヒバチステーキを食べながら宇崎さんと長い時間話をしました。宇崎さんの苦労話など勉強になることをいっぱい教えてもらいました。他のメンバーはもう一泊くらい沖縄に滞在したと記憶しますが僕はトンボガエリでした。ただツイストの時に憶えたテクニックで空港でのチェックインの時に一言アッパーデッキで御願いしますというと2階のファーストクラスの席に追加料金なしで座れたので、この時も1人悠々と大きなシートで帰って来れたのでありました。古き良き時代のお話です。

さて築地へ戻りレコーディングは無事終了しミックスもマスタリングも済んで一段落して家で出来あがったばかりの「THIS TIME FOR YOU」と題されたアルバムをドキドキしながら聴きました。ところが何度聴いても変な箇所があるんです。ブラッドショットの小林和之君作でシングルにもなる予定の[もしもし]という曲のもしもしがどう聴いても「もしも」にしか聴こえない。それも全箇所がそう聴こえます。

えらいこっちゃということですぐ山岸さんに電話して歌いなおしを御願いしました。山岸さんは快く引き受けてくれたのですがアルバムのサンプル盤だけはどうしようもないということが後日わかり、アルバムは2種類のバージョンが実は存在しています。そやけど発売された方はしっかり歌いなおしているバージョンなので[もしも]を聴いた人はごく少数の関係者だけやと思います。

アルバム発売記念のライブは渋谷エッグマンと大阪のキャンディーホールで行いました。この時のバンドは吉岡君、神ちゃん、鮫ちゃん、新井君、僕の5人に加えキーボードを宇崎さんのバンドでいっしょのラッキー川崎さんが手伝ってくれました。ツインギター、ツインキーボードのなんとも贅沢なバンドサウンドでした。

さてレコードのプロモーションが始まりました。当時は有線放送にご挨拶にいくのが主流?だったのか、東京中の有線回りをしました。忘れられないのはレコード店へのご挨拶回りで(だんだん演歌の匂いしてきましたでしょうか?)ある都市の大きなレコード店に伺ったときのこと。お店の前には僕のポスターが何枚か貼られてあり、その前にはビール瓶のケースが2つ並んで置いてあり、マイクスタンドと簡単なカラオケセットも設えられてあるではありませんか。

僕は事情をすぐに察知したのですが、まさかこちらからは何も言えない立場なので黙っていました。このときは山岸社長も同行していなかったので、さてどうしたものかとまずはお話を聞こうとおとなしくお店の方と談笑などしつつ、今から何が執り行われようとしているのか静かにみておりました。もうお解かりやと思いますが、ビール瓶の箱の上で「もしもし」をハンドマイクで歌うことがその日のメーンエヴェントでありまして、準備が出来たらお店の方が通行しているお客さんを呼び込みますとの説明があり、これはイッパツ歌うしかないかと一瞬腹をくくったのですが、これをやったら自分はきっと終わるやろなと思い勇気を振り絞ってレコード会社の担当の方とお店の方にごめんなさいをして挨拶だけにしてもらいました。

どんな言い訳をしたかは今となっては忘れてしまいましたが、お店の女性の方が「この曲、ジョー ウオルッシュみたいなロックですからカラオケはちょっとねえ」と発言してくれました。この一言がきっかけで挨拶だけになった次第で。思わぬ援軍が現れて事なきをえました。まさに人生いろいろであります。

2009年01月08日

第36話 初夢を見た

昨年の正月にとてつもない大スペクタルな初夢を見てそれをコラムに書いたことがまるで
昨日のことのように2008年は通り過ぎていった。楽しかったこと。悲しかったこと。
はたして2009年はどんな年になるのか。自然の流れに任せるしかないなあと考えています。
さて今年はラッキーなこと?に2日の夜に夢が初上映されました。どんな内容やったかと申しますと!!!

小林和之君(通称お兄ちゃん。ブラッドショットのリーダー、現エピックレコードジャパンの社長)と僕が品川駅らしき大きなターミナルビルのコーヒーショップでお茶を飲んでいるシーンから夢は始まった。そのコーヒー屋は巨大ショッピングセンターのフードコートとは比べ物にならないくらい大きなスペース、そして高級感にあふれていた。

店内のいたる所に観葉植物が配置され間接照明ともあいまってさすが東京はちゃうなあとか話しながら席に着いてまた驚いた。何と各テーブルにはハワイウォーターのサーバーが設置されておりご自由にお水をお楽しみ下さいというサービスが施されている。「お兄ちゃん、ゴッツイサービスやな」と僕が驚くと「松ちゃん、実は水道局とハワイウォーターが合併してさあ,ハワイから海底パイプでハワイウォーターが東京まで来るようになってん。将来的には各家庭にもいきわたる計画が今進んでるのよ」と明石家さんまにちょっと似た口調で説明してくれた。

「フーン、ゴッツイねんなあ」とよーくそのサーバーを見ますとちょうどエヴィアンの1.5リットルくらいのペットボトルをひっくり返した形でラベルにはカタカナでハワイワラーと書いてあった。

さあ飲み物を注文しようと辺りを見回しても1人も店員さんがいない。どうゆう風に注文するのかわからずにいると「松ちゃん、コーヒーでええか」とお兄ちゃんが言うた瞬間にコーヒーがまるで自動マージャン卓からマージャン牌が上がってくるのと同じシステムでテーブル上に上がってきた。僕は驚きを隠せず周りのテーブルもチェックしてみることにした。ところが周りのテーブルには回転すしのコンベアーみたいなものが回っていてその上をコーヒーやケーキなどがぐるーっとまわるシステムになっておりその時点で僕らの席が特別席やったことを知った。

「8時のこだまで神戸帰るんやろ。そろそろ切符買わなアカンで」と促され切符売り場に向かった。そこはどっからみても品川駅とは思えない懐かしい感じのする場所で神戸電鉄の有馬温泉駅とそっくりやった。窓口に行き8時の最終のこだま号新神戸行き禁煙1枚下さいと言いますと駅員さんはB5位のサイズはあるであろう大きな切符?らしき紙に手書きで発行手続きをし始めた。

料金を払い終えると「8時はぎりぎりやねえ。急いでくださーい」とせかされたので多分山手線であろうホームにちょうど入ってきた電車らしき乗り物に飛び乗った。しかしこいつは紛れもなくジャンボジェットでこの世界では飛行機が電車の役目を果たしてるようでどうにも不思議ではあったが疑わずに発車を待った。

ところがなかなか発車しない。そうこうしていますと僕は立っていたのでもらえなかったのですがウェルカムドリンクサービスが始まりだしたりしている。時計をみると19時51分になっていた。アー、シャンパン飲みたいなあとか思いながら時間がないのであわてて下車し先ほどの切符売り場に戻り間にあわない旨を伝えると「伊豆行きの最終の踊り子に乗ってそこから高速船で名古屋まで行き朝一番のこだまに乗ってもらうしか方法はないです」というので切符をキャンセルしてブラッドショットの合宿所に泊めてもらうことを勝手に決めた。

さすが夢やなあと思うのは駅がいきなり三軒茶屋~下高井戸間を走る世田谷線の駅に変わっていたこと。まるで瞬間移動、どこでもドアーである。大沢家政婦紹介所を右に見ながら路面電車に揺られ見知らぬ駅に降りたって線路沿いを進行方向に歩きますとすぐに合宿所にたどり着いた。

小林圭三君(お兄ちゃんの弟、ギタリスト)と壇辻君(ドラマー)が出迎えてくれた。「さっきアニキから電話があって松ちゃん神戸へ帰ったでと言うてたけどどないしたん?」と聞くので事情を説明して一泊させてもらうことになった。「今晩はパーティーやねん。それもヤミ鍋パーティーやから松ちゃんラッキーやで」と圭三が嬉しそうに言った。

合宿所にあがるとちょうど6畳間をふたつぶち抜いたくらいの広さの和室に鍋が3つ設えられてあった。メンバー以外にも初対面の人が何人もいてみんながヤミ鍋とやらを囲みはじめた。どんな食材を入れるんやろかと大きな皿をみますと明らかにニシキヘビのそれとわかるぶつ切りとパイナップルしかのっていない。「名村君が他の材料持って今こっちへ向かってるからボチボチはじめようか」と話しているとタイミングよく名村君(ベーシスト)がみたこともないような原色の大きなキノコと長細いブロッコリーらしきものを持って帰ってきた。

これが今日の鍋にはマストアイテムやとか何とか話している。どうやら僕には食べられそうにもないので、「練習場見に行ってくるわ」と表に出た。練習場は家の外にある空き地にロープを張り巡らせただけの簡単な設備でドラムセットとTASCOM の8チャンネルのカセットMTRが2台おいてあるだけであった。これでどないして練習するんやろかと首をかしげていると青い光が点滅しだした。この青い光の点滅で目が覚めた。青い光の主は携帯電話のメール来ましたよーの合図であった。またしても携帯に起こされてしまった。これでは去年とまるで同じパターンやないか。この光さえ点滅しなければヤミ鍋パーティーに戻れたであろうに。

今晩の夢に期待ということで支離滅裂な初夢でありました。しかしよく考えると去年の初夢にもブラッドショットは出演してくれたし来年も宜しく御願いしますと早めに出演交渉しとかなあきませんな。夢と言えば30歳の頃から54歳の今まで何度もくりかえし見続けている夢を今回お話することにします。

その夢を見出したのはエピックレコードのディレクターになってからで毎回シチュエーションは違うのですが結論から言いますとステージに辿り着けない夢なのであります。ある時は大きな野外ライヴの会場でどの通路をどの方向に行ってもステージに行けない。またある時は舞台の袖まで来てるのにギターが見当たらず出るに出られない状況やったり、バンドはまだ演奏してるのに大道具さんが機材を撤収しだして松浦君は今日は出んでええよと言われたり。その他手を変え品を変えの100種類近いヴァージョンを経験しています。

24~5年も見続けているのにも係わらず一度たりともギターを弾いたことはありません。これはいわゆる悪夢の一種やと思うのですが笑えるのがそのドリームバンドがアイドルワイルドサウスでもツイストでもサンズでもブラッドショットでも、もちろん自分のソロやバンドハズノーネームでもなく決まって「ハウンドドッグ」であるということです。もちろんハウンドドッグとは友達ではありますが一度だけスタジオの仕事をいっしょに演奏しただけなので、今だになんで夢でのバンドがハウンドドッグなのかは解明出来ずにいます。

最近では正月前にも上映されました。この夢とは一生涯お付き合いすることになるんやろなと思っています。なぜこの夢を見続けるのかの理由を追求するつもりもないしこの頃は慣れてきて「あっ、これ夢やわ!」と夢の中で解る時もあるくらい進歩?しています。これを読んで「あー、こうゆう夢あるある」と笑ってもらえれば幸いです。


2009年01月01日

新年明けましておめでとうございます。第35話 宇崎竜童&RU6

新年明けましておめでとうございます。2009年のお正月はいかがでしたでしょうか?
今年は春には待望のシングル、そして出来上がり次第ニューアルバムと張り切って活動していきます。KISS‐FMのSLIDIN’&RAMBLIN’もより良い番組にしていきたいです。そしてコラムもハイピッチで書く?つもりでおりますれば、相も変わりませず応援の程宜しく御願い奉り候。(年末、黒澤明監督作品の観すぎで文章が怪しくなってきましたのでさっそく35話に突入いたします。御免。

第35話 宇崎竜童&RU6
宇崎さんとはファイティング80というテレビ番組にツイストで何度か出演したのをきっかけに顔見知りにはなっていました。前回書きましたようにダウンタウンの新井さんと吉岡君とバンドを始めていましたので全くの初対面というわけではなかったのですがはじめてのリハーサルに行く時は少し緊張が入っていたやもしれません。ツイスト時代からの伝統である鮫ちゃんとの待ち合わせも健在で仲良く四谷の某スタジオへ向かいました。(ひょっとしたらリハーサルの前には事前の顔合わせ的なミーティングがあったかも知れません)。

ご存知のようにダウンタウンブギウギバンドのギタリストは和田静男さん1人だったので
てっきり僕は1人でギターを担当するものと考えていました。ところがいざ蓋を開けますとなんと横内タケ君(TENSAW)小針かつのすけ君(後の竜童組のギター)、そして宇崎さんもギターを弾かれるので僕を入れて計4名のギタリストの揃い踏み。まるで寺内たけしとブルージーンズのような、そして飽きる程言ってますがレーナードスキナードにまたギタリストの人数で勝ってしまうという大所帯のバンドが結成されたのでありました。キーボードはラッキー川崎さん、ドラムは辻野リュウベン君、ベースはもちろん鮫ちゃんで合計7人。今でいうところのサポートバンドでありますから宇崎さんの望むイメージの演奏をするのが僕達の役目。リハーサルはなごやかには進んでいましたが、ことがギターのアンサンブルに及ぶと混迷を極めましたのもこれまた事実。

どうゆう風にパートを分けたのかは今となってはうっすらしか憶えていませんがまるでガンズの新しいアルバムのギタリストの数に近い人数なわけですので正直、曲によっては2人くらい弾かずに休憩したほうがバンドの音としてすっきりはっきりするのではないかなと僕は秘かに考えていました。そしてなるべく抑えたプレイに徹しようと心がけました。でも曲によっての休憩はありえないので苦肉の策?として何曲かでぼくはキーボードを担当することに相成りまして、なんちゃってではありますが昔のようにシンプルなオルガンや初挑戦のシンセサイザーの簡単なフレーズとか、これはこれでなかなか楽しい経験ではありました。

リハーサルもバッチリまとまってきましたのでツアー前の合宿のため河口湖か山中湖へ行くことになりました。基本的に合宿は嫌いやったのでどちらの湖かは忘れました。(しかし合歓の郷だけは別格で心の故郷くらい好きやったです)。

アイタタター、また合宿かー、と内心では深く悲しんでおりましたがそんなことは言えた立場ではありませんし、鮫ちゃんもおるからひと安心やし、そして何よりも僕が考えていたより日数も短かったのでギターパートを考えたり、ラッキーさんからさらなるオルガンのテクニックを伝授してもらったりしてるうちにあっという間に合宿打上げ。合宿所にお化けが出たりすることもなく無事東京に帰りほっとしました。

そしてツアーが始まりました。何しろ大所帯なもので移動も大変。マネージャーは僕達をまとめるのにきっと四苦八苦していたはずやと思います。でも会場に入れば後は百戦錬磨の集団だけに本番前のリハは超スムーズでした。

宇崎さんはダウンタウンの時の楽曲をほぼ封印して新しい宇崎竜童を表現するのに苦労されたと思いますがさすがに超一流。ステージの運び具合は抜群でした。ご存知のように奥様、阿木耀子さんとの名作の数々を演奏しました。ツイストとはまた違うロックがそこにはありました。下手に歌えば歌謡曲にも聞こえるであろう曲を見事にロックに昇華させる。

これが宇崎さんの真骨頂だと毎日感じながら演奏していました。ツアーですので曲順は毎日同じなのですがその日によって歌の表情が変わるのも楽しみでした。殆んどの曲が阿木さんとの間に生まれた子供のような作品ですので感情の入り方がすごいなあとギターを横で弾いてて本当に勉強になりました。ただ困ったことがひとつだけありました。

本編の途中にメンバー紹介があるのですが「オン ギター マツウラヨシヒロ」と紹介される時、決まって僕はキーボードの場所に立っていたことです。ギターと言われているのに鍵盤の前にいる。これはお客さんも笑えたと思います。事実、紹介時に客席からクスクスと笑い声が聞こえた時もありましたが僕は当時からこの性格でしたのでむしろそれを楽しんでいました。困ったといえばツアーも後半にさしかかりバンドも随分慣れてきたある日のアンコールでの出来事なのですが鮫島秀樹が突然何を思ったのか「港のヨーコ 横浜、横須賀」のイントロのあの名フレーズを弾きだしたんです。最初僕らも、そして一番ビックリしていたのは宇崎さんでした。しかーし会場は大盛り上がり。こないなったらやらな
しゃあないとひとり入りふたり入りそして宇崎さんのあの語りが始まりました。僕はそれでもギターを弾かずにその光景を見ていたのですが正直メチャかっこ良かったです。

打上げで宇崎さんが「鮫ちゃん、頼むよ!!!!!」と笑いながら怒った風でも嬉しい風でもなく話してたのも印象的でした。僕は宇崎さんもホッと一息といったところやったんちゃうかなあと感じた次第で。後で鮫ちゃんに「宇崎さんホンマは怒ってんとちゃうか?」
と問うたところ、鮫「大丈夫!、大丈夫!」と例の調子で自分がやったことに対しての責任感どころかヨッシャこれでええんや的自信に満ち溢れてる態度に僕は鮫ちゃんも相当やるなあ。しかし受け止めた宇崎さんはゴッツイなあとお2人に対して新たな尊敬というか自分にはないアートな部分を垣間見たと言いますか。とにかく素晴らしく楽しい日やったことをついこの間の出来事のように今思い出している次第であります。

最初から企画バンドだったのでほぼ1年ちょいでバンドはお開きとなりましたが嫌なことひとつなく楽しいバンドマン生活をおくれたのは宇崎さんと事務所のスタッフの方々のお蔭やったなあと改めて思いかえしております。もう一度行きたかった沖縄でのライヴ&伝説のヒバチステーキにも行けたし最後のライブは確か熊本城の中の広場だったと記憶していますが楽しい1982&1983年でした。
もちろん宇崎さんとの活動の合間をぬって自分のソロライヴもやっていましたし、レコーディングも同時進行で進んでいました。そのあたりのお話は次回ということで。御免!!!


2008年12月26日

第34話 解散したのにアレレー?

明けて1982年、ゆっくり正月休暇をとる間もなく葛城ユキさんのレコーディングが始まりました。有り難いことであります。古い記憶なのでひょっとすると1981年の暮れからスタートしていたのかも知れませんがユキさんの前作には曲の提供はさせてもらったもののギターを弾くことが叶わなかったので満を持してのレコーディング参加でした。僕が作詞、作曲した「YOU’VEGOT THE POWER」を採用してもらいアルバムタイトルもPOWERに決まったのは本当に光栄でした。

そしてPOWERの次のアルバムのタイトルが「LA SPILIT」でアイドルワイルド サウス時代の「MY DADDY」と「DAYS OF BOOGIE」をカバーしてくれて、それもLA録音そしてTOTOのメンバーが演奏という僕にとっては夢のようなお話で。当時のTOTOといえば飛ぶ鳥落とす勢いの人気バンド。ルカサーさんやポルカロさんが演奏するという巨大プロジェクトに果たして僕の曲は通用するのか?と一瞬の不安もありましたが出来上がったアルバムを聴いてひと安心。ええ演奏してはりました。短い時間でのセッションやからちょっとラフかなとも感じましたがホンマモンのビートはさすがでした。

話は前後しますが2月26日にユキさんのコンサートにも一度だけですが参加して82年は順調にスタートしました。

バンドが解散してソロアルバムのお話をツイストが所属していたレーベルからいただいていたので曲作りをはじめました。そしてレコーディングやライブをいっしょにやってくれるメンバーが決まりました。ベースは元ダウンタウンブギウギバンドの新井武士さん。ドラムは同じくダウンタウンの吉岡たかしさん。ギターはバンザイのデカパンこと依田稔さん。キーボードはアイドル時代からの盟友、難波正司さん。

まずは東京と神戸のチキンジョージでのライブに向けてのリハーサルが始まりましたが難波君がどうしてもアメリカへ行かなければいけないことになり悩んだ末に神本宗幸君に御願いすることになりました。なぜ悩んだかといいいますとツィストが解散したばかりなのにすぐいっしょにやるのはいががなものかという、建てまえというか微妙なバランスを考えたのです。が、しかしやっぱり神ちゃんがええという結論が自分のなかで出て電話してみました。答えは一発OKでメンバーがやっとそろいましてなごやかなリハーサルが始まりました。

ダウンタウンブギウギバンドも解散ほやほやだったのでほやほや4人とデカパンという楽しい5人バンドでありました。デカパンはアンルイスさんのバンドの僕の前任ギタリストだったので気心が知れていましたし5人はすぐ意気投合して僕のソロバンドというよりセッションバンド色が濃いバンドにしました。実際5人ともリードボーカルをとる当時の日本では珍しい形体のバンドでありました。5月何日かは忘れましたが渋谷のライヴイン82というライヴハウスではじめてのライヴを決行しました。解散から半年も経たないのでちょっと早いかなとも考えましたがとにかく前進あるのみです。おかげさまで満員御礼で演奏もバリバリでゴッツイええライブでした。

そやけどアンコールが終わっても誰も帰ろうとしません。もうやる曲もありません。楽屋でどないしょうと言うてますと世良君と鮫ちゃんがやってきて「ほな、1曲やろか」ということになり金ちゃんはそのとき観にきていなかったので吉岡君に手伝ってもらってツイストの曲をやりました。お客さんは全員総立ちで「なんじゃ、こりゃ。さっきまで静かに楽しんでくれてたのにいきなりこれかい!」とちょっと微妙な感もあったりしましたが、まあ初ライヴのご祝儀的&突発的出来事ということで演奏者も観にきてくれた全ての人が大満足の夜やったです。

しかし実はこの日だけやなかったんです。6月か7月の2度目のライヴイン。この日はサザンのメンバーや金ちゃんも観に来てくれていました。本編が無事終了しサザンの大森君達とのセッションがはじまりますとさっきまで静かに楽しんでくれていたはずのお客さんが立ち始めました。そして真打ち登場。今回は金ちゃんもみっちゃんも明君も登場。ひょっとして現役時代より盛り上がってるんとちゃうかなという光景を僕は冷静にみながら演奏していました。なんで解散したのにいっしょにやってるんやろ?これは神ちゃんがあの時言った「黙ってフェイドアウトしようよ。そしたらいつでもできるんじゃないの」がやっぱり正解やったんかなあ。

いやいや、元のメンバーが僕を応援しに来てくれてるだけや、と解釈するほかなかった。本当に有り難いことです。そしてこれをずっとやったらアカンなあともこの夜確信しました。これでは他人の名前で出ていますになってしまうもんね。仲間の助けは必要やけど1人で立たなアカンと心に決めました。

大阪のライヴでもゴッツイことが起こったことを書いておかなければいけません。
いつもの調子でゆったりライヴをやっていますと後ろの方で何人かが手を振っている。誰やろかとよーくみますとサザンのメンバーやった。そしてあろうことかサザンオールスターズは僕らのライヴをステージジャックした。何曲やってくれたかは忘れましたがそれは正真正銘サザンオールスターズのライヴでした。

当然お客さんは狂喜乱舞。ステージを降りたサザンのメンバーは梅田の街へ消えて行きました。今思い返すと考えられないことですが僕のライヴではこのような自然現象がよく起こっていました。今度ゆっくり思い出して誰がセッションにやってきてくれたかを書きますね。
しかしレコードに関しては実は良くない結果が待っていました。今でいう内定取り消しであります。時代の先端児でしょう?いや違うか!!

先にも書いたようにツイスト時代のレーベルとの契約が進んでいまして本部長さんと担当のディレクターと政治家が行くようなお座敷料亭でひとつよろしく的なミーティングを行ないデモテープも予備会議ですでに聴いてもらっていたのであとはレコーディングを待つばかりの日々を過ごしていたのですが、ある日を境に担当ディレクターと連絡が取れなくなり自宅に電話しても折り返しがないし、アレーとは思っていたのですがまだマネージメントをどこにお任せするかが決まってなかったので自分で連絡するしか方法はなく、仕方なく丁度昔からお世話になっていたT 氏が同社のディレクターだったので聞いてみると「松浦、おまえマジで何も知らんのか?この前の本会議で松浦のアルバムは中止と決まったんやで。オレはあまりに変な話なので部外者やけどなんで中止かと質問したけど答えてくれなかったな。」

僕はT氏から契約がなくなった話をきいただけでレコード会社からの正式なお断りを聞いていない。まったく理不尽な話ではありますがここはいっちょう荒波に飲みこまれないように気をつけて世の中渡っていかんと大変なことになるなあと身を持って知った次第で。

ホンマは内定取り消しの本当の理由を知りたかったが聞かずに済ませた。聞いてもないもんはないもんと捉え新しいレコード会社、そして所属事務所を探す日々が始まりました。そんな時宇崎竜童さんの事務所から電話があり宇崎さんの新しいバンドに鮫ちゃんといっしょに参加しないかというお話を頂いた。捨てる神あれば拾う神ありであります。正直落ち込んでいたのでメチャクチャ嬉しかった。

さて宇崎竜童&RU6のお話は次回ということで今年1年いつアップされるか分からない僕の四方山話にお付き合いいただき有難うございました。次回は来年になります。皆様、どうぞ良い2009年をお迎え下さい。新しい年がよりいっそう素晴らしい年になりますように。

2008年12月26日  松浦善博

2008年12月06日

第33話 ツイストのあとのコロッケ

いよいよ最後のコンサートツアーが始まりました。とは言っても大阪厚生年金会館での1公演と新宿コマ劇場での3公演という最後にしては以外にさっぱりしたツアーというよりは特別公演といったほうが正しい形のライブでした。コンサートタイトルは『ウイニングショット』解散やのにウイニングショットとはこれいかにと思われる方もおられると思いますがええタイトルやったと思います。

まずは大阪厚生年金会館です。メンバーの家族、友人たちで楽屋は満員電車のごとくでその賑やかな記憶はゴッツイ残っていますがコンサートがどないやったかが正直思い出せない。コンサートのあと何処で打上げの食事会をしたのかすらも記憶に残っていません。そうや、結果的にライブは作本光弘とのツインギターで大上明は参加しませんでした。ホンマに残念なことでした。明君の体調は回復していたので僕はいっしょにやるつもりでいたのですが。でも新宿では何曲かいっしょにやれたので良かったなと思っています。

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