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コラム

2010年02月08日

第42話 1年くらい遊んでてよ

エピックソニーに入社した日のことを書こうと決めてから早や1ヶ月。書けなかったというか、パソコンのキーボードに触れることもなく1月は通り過ぎていきました。正に「Life in The Fast Lane」であります。2月は28日しかないので、3月がすぐにやってくるのは最早明白で、そうこうしていたら大嫌いな梅雨がやって来て、瞬く間にクマゼミが大合唱を始め、鳴きやんだと思ったら木枯らしが吹いてうめ丸の温泉と鯛が恋しくなる。「ワーッこんなことしてたらイッチョウ上がりになってしまうぞ」ということに気づき、やっと机の前に座った次第であります。

ウーンしかし何を書いて良いのやら。今までとは違ってなんせ責任ある社会人時代の話であるからしてエエかげんなことは書けない。数ある逸話も今となっては時効やから思いつくままに書き進めればよいとも思うのですが、どうも気が乗らないので路線を変えようかなと思案中。ということで小休止。


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2010年01月05日

第41話 謹賀新年

明けましておめでとうございます。本年はいよいよ新しいアルバムがでます。6月頃を予定しておりますが、詳細が決まり次第お知らせいたしますのでよろしくお願いいたします。

コラムは順調とは決して言えないほど書けておりません。周りの友達にも「ナンボ何でも遅すぎる」とおこられています。ホンマにゆっくりではありますが書く意欲はありますので気長にお待ち下さい。次はエピックソニーに入社した日のことを書く予定であります。
そこで新春恒例?となりました「初夢を見た」で今日はご勘弁の程を。
     
「初夢をみた 2010」 

僕が宝塚歌劇団のトップスターMさんとエレベーターに乗っている所から夢は上映されました。

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2009年10月26日

第40話 イッツアソニー

本格的にソロ活動を再スタートしようと久しぶりにリハーサルが始まりました。

バンドメンバーはツアーごとに変わりましたが、気の合う友達が手弁当で参加してくれていました。メンバー遍歴を紐解いてみますと、ギターが依田“デカパン”稔、小林圭三、新井清貴、佐藤英二、一時期準レギュラー的ゲストで田中一郎、ベースが新井武士、鮫島秀樹、キーボードは神本宗幸、蓑輪単志、ラッキー川崎、難波正司(敬称略)佐藤君、蓑輪君、ラッキーさんはワンツアーだけの参加でしたが、ホンマにええメンバーが集まってくれたものです。

観にきてくださるファンの方たちは毎回のメンバー、ゲストがゴッツイ楽しみやったそうです。楽しいライヴを続けられたのは、ミュージシャンの皆さんのお蔭やなあとつくづく思います。

そやけどホンマのことを言いますと、

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2009年08月15日

第39話  タキシードを誂えに行く

当時の徳島ラーメンは今流行りのそれとは違いごく普通の、しかし劇的にうまいラーメンでした。もちろん市内の有名店に行ったわけではなく楽屋に出前してもらったひょっとしたら近所の食堂のラーメンだった可能性もなきにしもあらず。にもかかわらずメチャクチャうまかった。

具もいたってシンプル。チャーシューにモヤシ、それに青ねぎが少々。シナチクとナルトに関しては忘れました。メンバーみんなで畳の楽屋でメチャ盛り上がって食べました。地方に行くとその土地、土地でおいしいものがいただける。贅のかぎりをつくしたものから素朴な名産品まで。

ずいぶん前のコラムで食べ物ベスト3の発表をしましたが、この徳島ラーメンを忘れておりました。コンサートの後の恒例の打上げの後、有志を募ってもう一杯徳島の思い出にと街場のラーメン店を探してお腹がはち切れそうになったのも懐かしい思い出です。

もう一軒だけ飲みに行こうという誘いを辞退してホテルに帰りシャワーをしようと風呂場の鏡に写った顔を見ますと何か変なブツブツがあるのに気づきました。そしてアレヨアレヨといううちにブツブツは全身に広がって行き痒いわ、腫れてくるわで、どないもならん状態に一瞬のうちに陥ってしまいました。

これはえらいこっちゃとマネージャーのM氏に電話して状況を伝えますとすぐに部屋に跳んできてくれました。「松ちゃん、これはマズイわ。蕁麻疹や。すぐに病院へ行こう」と夜間外来で観てもらいましたところ、どうも普通の蕁麻疹ではないのではないかということになり、ひとまずは注射をして症状は軽くなったものの可能性として腸チフスの疑いも視野に入れといたほうがよいということで、次の朝改めて診察してもらうことになりひとまずホテルへ。

しかし痒いの何ので、結局は一睡も出来ず、朝一番に病院へリターン。検査結果は1週間くらいかかるということで症状を抑える注射と大量の飲み薬をもらい次の会場へ移動しました。ところが移動中のバスの中で痒さは頂点を極め、件のブツブツの形体が変わってきたときはそのおぞましさに失神しそうになりました。

形状を説明します。直径1センチ弱位の赤い丸を細めのマジックインキで書いて下さい。その中心に赤い小さな点をひとつちょんと書くと出来上がり。これが体中に無数に出来ているのです。気持ち悪い話をしてすみません。しかしこれは事実です。結局バスは会場に向かわず高松市の大きな病院の前に横付けされこの世のものとは思えない顔の僕は緊急外来で処置を受けました。注射をしますと不思議におぞましいブツブツは消え去りホッと一息。

何もなかったようにコンサートは始まりましたが後半でまたしても敵は容赦なく襲い掛かってきましてさすがに痒いとも言えないのでアンコールまで頑張りましたが、またもや病院へ直行。まだ腸チフスの疑いは消えてはいませんでしたがどうやら強烈な食あたりのアレルギー反応がでてるのであろうということがわかってきました。

思い当たる節は2つ。例のバンコックの中華、またはホテルの部屋の無料のミネラルウォーター。これしか考えられません。僕は水分をたくさん摂るほうなのでこの無料の水を大量に飲んだのですが、よーく考えるとノーラベルだったし他のメンバーはエヴィアンなどを買って飲んでいたし発症したのは僕1人だったのでこの無料水が原因であろうと思います。もし中華なら松藤君もなったかもしれないし。

四国中の病院にツアーバスは横付けされました。毎日注射しても症状は緩和されず注射が切れたらまた浮かび上がってくる。この繰り返しでした。冷たいシャワーを浴びたら少しは楽になりましたがこんな経験後にも先にもこの時だけです。よく水が合わないとか水にあたるとかききますがこれほどまでとは思いませんでした。メンバー、スタッフの皆さんに迷惑かけっぱなしの四国ツアーでした。

そのあと少し休みがあったので神戸の実家に帰りましたがまだ注射三昧の日々で久々の神戸やのに何もせずに次のツアー先に向かいました。ただ嬉しかったのは腸チフスではなかったこと。だんだんブツブツも地味になってきまして完治したのは2週間ほど後のことでした。

さて次のツアー先がどの方面だったかは今となっては思い出せないのでGoogle で検索したり八方手をつくしてみたのですが九州ツアーやったような気がしてきましたのでその気分で書き進めることにしましょう。


桜島が目の前に見える豪華なオーシャンビューの部屋にチェックインした時の出来事です。さっそくヴェランダで白いチェアーに座りリゾート気分を満喫していますといきなり地響きがしてホテルが揺れだした。とっさに地震やと思い部屋に避難(大袈裟やなあ)したんですが、外を見ますと何と桜島が噴火しているではありませんか。

これはえらいこっちゃとすぐにフロントに電話したら笑われてしまいました。「今日のは少し大きかったですが大丈夫ですよ」とのことでひと安心でしたがいきなりの噴火、それも目のまん前ですからビビリますわなあ。この日の楽屋での話題はもちろん桜島大噴火の傾向と対策についてでした。コンサートのMCでも谷村さんはこのことについて話されてたと思います。

九州もほぼ全域ツアーしまして最終日は長崎でした。長崎といえば日本3大中華街のひとつがある街。ドラムの松藤君は僕を誘わず出掛けたそうです。皿うどんを目指して!しかし初めての中華街でどのお店の皿うどんが美味しいかはわからない。

そこで彼は街をたまたま歩いていた中華料理店のコックさんとおぼしき人物にどこの店がいちばんおいしいですかと尋ねたそうです。その方は日本語があまり上手ではなかったそうですが親切にもお店の前まで連れて行ってくれ「ここ一番美味しい」と指をさしたその店とは「リンガーハット」

これはホンマの話です。日本全国どこでも食べられるチェーン店ではありますが、長崎の中華街をしてナンバーワンとはウソのようなホントの話でありました。


その夜はベースの小林大介君、難波君、田代君と飲みに行きまして、僕は九州最終日ということとブツブツからの解放という二重の喜びからか少々飲みすぎまして見事二日酔いになってしまいました。次の日は神戸のラジオ関西でソロアルバムのプロモーションで生番組のゲスト出演が決まっているというのに。

長崎から在来線、新幹線を乗り継いで西明石までほとんどの時間をデッキとトイレの往復に終始しやっとの思いで須磨の駅に辿り着きました。そんなことですから呼んでいただいた番組名も何を話したかも全く記憶にないのであります。そのあと東京へ帰ったのか実家へ寄ったのかも忘れました。いやあ、お酒はほどほどにせんとあきませんね。

そんなツアーも終盤にさしかかったころマネージャーのM氏から「松ちゃん、今度のオフの日、渋谷の西武百貨店にタキシード誂えに行こう」と言われました。話をよく聞くとツアーが終わったらディナーショウで全国を廻るのでタキシードが必要で僕だけ持っていなっかったので衣装として購入してくれるという有り難いお話で。

紳士服売り場には普段縁がないものでM氏にお任せしてえらい上等なタキシードを別注することになり「こんな高いのええんですか?」と思わず言ってしまったくらい僕にとっては高価な買い物になりました。

そのタキシードは今でも家の押入れに大事に保管されています。ただ着る機会がないものでひょっとしたらメタボまわりはきびしい状態になっているやも知れません。そのピカピカのタキシードを着てのディナーショウツアーも無事終わり1年数ヶ月に及んだ谷村新司さんのツアーが終了しました。

決して一流ではないアコースティックギターのバッキングに谷村さんは歌いずらいなあと思われた時も多々あったとは思いますが温かく接して貰えて僕にとっては実りのある1年と数ヶ月でした。

そう言いますとアリスが久しぶりにツアーを再開するそうです。やっぱりバンドはええですね。素晴らしいツアーになることを祈っております!!
さて本腰を入れて自分のソロ活動を再開する時がやってきました?

近況報告  
ゆっくりしたペースでレコーディングを続けております。リズムトラックは録り終えましたが僕のギターダビングとヴォーカルがゴッツイたくさん夏休みの宿題のように残っています。冬が来る前には完成するかなあ?それともまた新しい曲を加えるかもしれませんし、ええ音楽を作りますので気長にお待ち下さい。
ブルーストーンカンパニーと演奏したライヴがyou tubeで上映されています。是非観てください。


2009年05月21日

第38話 すばる

アイドルワイルドサウスの難波正司君から電話がかかってきた。1983年のお話です。

ああでもない、こうでもない、といつものように四方山話をしていますと急に難波君は真面目な口調でこう切り出した。「松浦、谷村新司さんの音楽どない思う?オレはアリス時代からバックバンドやってるねんけどライヴなかなかええよ。それでな、今度のツアーでハードなロックをコンサートの前半でやるんやけど参加してくれへんか?」

僕は一度難波君といっしょに谷村さんの家にお邪魔したことがありゴッツイ楽しいお話をいっぱい聞かせてもらった上、上等なすき焼きまでご馳走になったので二つ返事でオーケーしました。しかし不安が全くないわけではなかった。今までロック一本でやってきたのでまるで譜面は読めないし、アコースティックギターも上手くないのでその辺りを難波君に率直に話しましたところバンドにはアコースティックギターの名手 田代耕一郎君がいるからエレキだけガーンと弾いてくれたらええねんということでまるで問題はないことがわかり一安心。

ツアーで演る曲の音源と音符がギッシリ書き込まれた譜面を受け取りリハーサルに備えました。家で1人で練習をはじめますと、思っていたよりハードなロックやったのでビックリやら嬉しいやらで順調に曲を憶えていきました。もちろん譜面は一切読み?ませんでした。エレキだけをやればええと思っていたのでエレキギターパートだけをコピーして1人練習は終了しリハーサル初日がやってきました。さすがに初対面のメンバー、スタッフの方が多かったので最初は緊張しましたが、難波君はいるし谷村さんがうまいことリラックスさせてくれたおかげで順調にリハーサルは進み、前半のハードロックな部分は1週間もかからずに出来上がりホッと一息。

しかし、ここでいきなり谷村さんのドッキリ発言「後半は松浦もアコギやってよ」内心アレレレレーッとは思ったけれどハイと言うしかしゃあないわな。後半の曲は演奏せんでええと勘違いしていた僕がアホやったんです。でもよーく考えてみたら西岡たかしさんのバックをやったときもアコースティックギターはやってたし、リズムギターを弾くぶんには問題はないなと引き受けたのですがリハーサルが進むにつれ事情が変わってきました。

「秋止符」という曲で僕のギター一本で谷村さんが歌うことが急遽決まった。基本的には簡単なアルペジオの伴奏やったのですがリハのときでも毎回緊張しました。それもハンパな緊張と違うかったなあ。70回も80回もコンサートツアーで演奏しましたが毎回緊張してました。というのもこの曲は谷村さんが客席に下りていってファンの方たちとコミュニケーションをとりながら歌うという場面だったので、隣同士で演奏するのとは違い谷村さんの動きを視野に入れながら演奏しないとどうしてもちょっとしたタイムラグがでるんやないかという心配があったりで毎回が真剣勝負でした。そういうわけでこの曲は今でも目を閉じて何も見えずでも演奏できます。違うかあ!!!

ツアーはこんな具合で緊張する場面があったり、谷村さんのMCがあまりにおもしろいので、マジで笑い転げてしまって前の方のお客さまに迷惑かけたりで。でも有名なヒット曲が盛りだくさんの素晴らしいコンサートでした。ツアーにエンジンがかかってきたころ、僕にとって初めての海外コンサートツアーが敢行されました。香港、シンガポール。タイのバンコック、どの国も刺激的でした。

香港は当たり前やけど異国情緒たっぷりの大都会で2DAYS公演。日本の電圧は100ボルトですが、香港は220ボルト。その関係でアンプから出てくるギターの音が全然違うのです。まるで外タレのようなすごい音がして一夜にしてギターが上手くなったのかと勘違いするようなそれは素晴らしいサウンドでした。ステージと客席の一体化したムードが言葉の壁があるはずなのに、その壁がかえっていい効果になってるのかなと思えるくらい良くてとにかく香港バンザイでした。

いまでは大好物の香菜(パクチー)の洗礼を受け初めて飲む紹興酒にも戸惑いはしましたが街場の屋台の中華の旨かったことといったら。ハワイのカニ以上に感動の後シンガポールへ移動。シンガポールといえば、アジアツアーに出発する数日前に谷村さんに話があるから楽屋にちょっと来てと言われ、何の話かなあと色々考えを巡らせていましたところ「松浦 髪ちょっと短くしてくれへんか?今の長さやと松浦だけシンガポールに入国出来ないらしいねん。申し訳ないけど頼む」と言われ変な国やなあとは思いましたが谷村さんに直々御願いされたらしゃあない。というかツアーに行けないのはゴッツイ困るので、バッサリでもないですが無難な程度に短くカットしました。

お蔭様をもちまして、シンガポール無事入国。むせかえるくらいの暑さと南国特有の甘―い匂いがして緑がすごく濃い美しい国でした。掃除がこれまた行き届いており、街にゴミがひとつも落ちていない。香港とはうって変わってざわざわしていない所が気にはなりましたが、,豪華なホテルに泊まれたしええコンサートが出来たので短髪のことはもう忘れていました。しかしチュウインガムも禁止やし、ましてや量にもよるらしいですが大麻や麻薬などを所持していたら死刑やとはお見事な国には違いありません。それでも屋台へドラムの松藤君と繰り出して1メートル近くはありそうな巨大イセエビに舌鼓状態でありました。

さて最後の訪問国タイのバンコック。ツアーといえども仕事ですからなるべくホテルの中で食事をするようにという御触れがあり、楽しみにしていたタイ王宮料理と舞踊の夕べもスキヤキディナーに変更ということで何か微妙な空気を薄々は感じていたのですが、次の日の昼にまた松藤君とホテルを抜け出し中華を食べに街に出掛けたのが運のつき。キレイなレストランだったし料理もおいしかったのですが、お勘定のとき席を立とうとしたところ松藤君のショルダーバッグが影も形もなくなっていました。

お店の人総動員で探し回りましたが結局は出てこずじまい。大切なカメラと自慢のハンティングワールドのショルダーを失ってしまいました。だから言わんこっちゃないとみんなに叱られました。聞くところによるとこんなのは日常茶飯事やそうです。まあ自己責任ということでいざコンサート会場へ。砂埃が舞う道を30分ほど行った所の体育館がその日の会場でした。ここでも熱烈歓迎。「昴」が始まるころにはお客様がみんな涙を流している。遠い日本を思い出しておられる方はもちろんのこと、地元の人も感動してくれている。この光景は忘れられません。ホンマに心から音楽を聴いてもらえてるのを目前にさすがに僕もグッときました。

そしてコンサートは無事終了。この夜の打上げもなぜかまたスキヤキディナーでした。ウーンなんでやろかなあと疑問を残しつつ帰国の途へ。バンコックー成田間はJALのDC―10という飛行機でした。離陸して食事が終わったころに乗務員の方が「いやあ、今日は機体が重くて滑走路ギリギリでやっと飛んだんですよ」とホンマとも冗談ともとれる微妙な話をしてきたのには思わずゾッとしました。バンドの機材が半端やないくらいの量でしたから。

そうこうしていますと今度はエアーポケット。ゴッツイ急降下したはずです。一瞬の出来事でしたが、僕は死ぬんちゃうかと本気でビビリました。しかし無事ランディング。さあ成田に着いたら次の日は徳島公演。休む暇なしの谷村新司ツアーです。ところがその徳島で僕の体調がどえらいことに。それは次回のお話ということで。

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